総聯のうそつき

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子どもの就学が迫ると、あろうことか、日本人の亭主が、子どもを「ウリ・ハッキョ」(引用者注:直訳は我らの学校。朝鮮学校をさす)へ上げようと主張し、朝鮮人女房の私が反対するという、世間とは逆の夫婦喧嘩が展開された。 亭主が同意してるのに、子どもをウリ・ハッキョに上げないなんて、なんてオモニだという批判を、同世代のオモニから浴びながら、私は学校だけは、日本人学校を押し切った。 朝鮮学校経験者は、チョゴリ切り裂き事件を民族差別の代表例としてあげるし、それだけ捉えれば、民族差別である。 私は自作自演説を信じない。朝鮮学校生徒のチマチョゴリに対する思い入れを知るからである。 日本人に問う。あなたは、自分の手で、日の丸を切り裂けるか? 自国の国旗を掲げられない朝鮮学校生徒にとって、チマチョゴリは、悲しい国旗の代用である。 私は、子どもの学校は譲らなかった。 済州に帰れる家なんかないのである。 亭主側に、惚れたお前のために大韓民国に帰化して、済州でひと旗上げようと言ってくれる根性と才覚があるならともかく。 幸い、亭主は日本人である。私は子どもには、日本という祖国を獲得して欲しかったのである。 乾パン工場の女工として、自国民、いや、もと自国民だった朝鮮同胞を出稼ぎに輸出するしかなかった大韓民国より、どん底の敗戦から自力で這い上がった日本を、ウリナラ・イルボンを獲得して欲しかったのである。 私も、多くの在日オモニがそうであったように、教育ママであった。
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