《第3章》会社と車校と透析と…

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 とは言え…家庭内のゴタゴタは、昨日今日始まったような話でもなく物心が付いた頃には、そういう環境だったんで僕の中では既に諦めの境地だったハズ。  或いは諦めも、ストレスにジャンル分けされるんかしらん。  結局どれも"帯に短しタスキに長し"で、僕の抱えるストレスの元凶を特定する事は、出来ず仕舞いだったけれど…。  それを拒絶するような症状が、毎年のように現れているのは否定しようのない事実。  要するに…日々、ジワジワ蓄積しているストレスが、 「チリも積もれば…」 的に増えていって貯蔵タンクから、ちょくちょく溢れ出しつつある…というコトなのか?  だとすれば…今の流れは、いつか何かのキッカケで僕が人生を振り返った時に、 「このザマ」 とか言わせてしまう、後悔への警告なんでは…?  僕の中の誰かが、ポツリと呟いた。 「今こそ悪い流れを変える為の、千載一遇のチャンスなんかも知れんな…」  時計を"今"に戻して…平成7年3月。  透析導入2周年を迎えて程なく、某宗教団体が引き起こした空前のテロ・地下鉄サリン事件に、世界中が震撼している頃。  まず直属の管理課長に辞意を伝えてから、数ヵ月が経って…社内外で様々な反応が有りつつも、最後は僕のワガママを通すカタチで退職させて頂く事に。  約1年掛けて取得した自動車運転免許も、今の会社で活かす事は出来ず仕舞いでしたよ…無念。    この数ヵ月で、 「石の上にも3年」 という諺を、何人の口から聞いたか分からない。  けれど…この時の僕にとって、その諺は、 「なんの根拠も無い慰め」 にしか、聞こえなかった…それくらい、 「悪い流れを変えたい」 という思いに支配され…というよりは、もはや追い詰められていたのかも。  まだ実感こそ無いものの…間もなく、"社長"と呼ぶ事になる知人から久々に連絡が入ったのは、もう3月も終わる頃。  僕の"悪い流れ"を変えるべく、新たなる一歩を踏み出すためのスタートラインへの招待…のハズが…。 「(起業話が)白紙になった。  …申し訳ない」  知人の憔悴しきった口調に、何も聞けなかった。  沢山の人達の尽力を"無"にし、ワガママを通した僕に対するシッペ返しは、すぐ目の前で待ち構えていた。
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