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───世界はこのままでいい。
なんて残酷なことを口にしてしまったのだろう。このセリフを、真実を知る人の前で出せるだろうか。
重苦しい沈黙を彼女が破る。
「クロワール家は小さいながらも貴族でした。貴方の家を思い浮かべていただければ想像しやすいかと思います」
アリカは視線を落としたまま続ける。
「父はそこそこ名の知れた商人でした。それを支える母に、年の離れた兄が一人。これがクロワール家でした」
懐かしいものを思い出すように彼女は目を細める。
「ささやかな幸せでした。裕福な暮らしは出来ませんでしたが、そんなものは望んでいませんでした。愛する人たちと暮らせればそれで良かったのです」
俺と同じだ。このままずっと変わらずにいられたらどんなに良かっただろうか。しかし、そんな願いは聞き入れられなかった。
「あるとき父は興奮した様子で帰ってきました。その手にはとても古い文献が大事そうに抱えられていました。当時の私は幼いながらも、その時のことは良く覚えています。これでお前たちに楽な暮らしをさせてやれる。そう言って父と母はたいそう喜んでいました。まだ事情が呑み込めなかった私でしたが、父たちの様子を見て、とても素敵なことが起こったのだと一緒に喜びました」
「それは国の秘密に関わることだった」
アリカは頷く。
「彼らは喜んだことでしょう。実験体がまとめて手に入ったのですから」
「それじゃあ、アリカも……」
そうです、と彼女は呟いた。
「突如言い渡されたクロワール家の取り潰し。世間は私たちを徹底的に排除しました。父はこれまでの全ての取引先から仕事を断られ、兄は通っていた学院を急に退学処分となり辞めさせられました。そしてその日はやってきたのです」
アリカの顔に影が差す。
「収入も地位も名誉も失ったクロワール家にやって来た彼らは、私の目の前で父を殺害し、母と兄、そして私を実験施設へ送ったのです。そこで離れ離れになり、母と兄はどうなったのかは知りません。ですが、先ほどご覧頂いたものを思い出して頂ければ」
無事であるとは考えられない。
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