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激しい雨。
加えて濃霧である。視界は月明かりが森林を辛うじて照らすだけでこの上なく悪い。
少女はかつてない程の焦燥に駆られていた。
泥土に足を取られつつも走る以外には選択肢がない。
止まれば死ぬのだ。
逃げなくては。
奮い立たせるように再三、心中で繰り返した言葉で限界をとうに超えたボロボロの身体に鞭を打つ。
木々や葉で傷ついた足を必死で運動させた。
荒くなった少女の呼吸音を打ち消し背後から何かの塊を猛スピードで引き摺るような、不快な音が聞こえる。
もう見つかってしまったか。
だが振り返る猶予も勇気も持ち合わせていなかった。
ただ泣き喚きながら走る。
「--どうか、神様...!」
必死で絞り出した少女の祈りは虚しく、すぐ背面からの声に掻き消された。
女性の甲高い叫びのような、男性の低い嘆きのような、そんな声が幾重にも幾重にも重奏した何とも形容し難いがけたたましい咆哮だ。
少女は反射的にそれを見てしまった事を後悔する。
顔。眼前には異形の顔がそこにあった。
一つではない。首と思しき最も太い赤黒い肉の側面から枝分かれした幾つも顔面が伸びている。
本来眼球がある筈のその数多あるどれもが例外なく陥没しており、木の虚のよ うにも見える。
だが、少女は瞳孔さえないそれらの視線が殺意を込めて全て己に向いているのを感じた。
半笑いのようにも怒り顔にも見える如何とも形容し難いそれらはただただ邪悪であった。
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