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土間の台所から食卓のある床部分の境界である上がり部分は、古くなった木の床が出っ張ったような形で付いており、二人並んで腰掛けると、母は少し膝を曲げ、アリスが座るにはほど良い高さの腰掛けとなる。
柔らかな膝の上に真っ白な髪をした頭を乗せ、甘えて微笑むアリスに向け、母クロエは囁くように言の葉を紡ぐ。
「そうね、アリス。私も分からないわ。誰も自分以外の頭の中を覗くことなんて出来ない。みんな同じことを言っているようで、実は十人寄れば十通りの思いや考えがあるの。
そしてね、アリス。人の価値観なんて、宝石のような価値を持っているように見えてその実、真冬の朝に水たまりに張る氷よりも脆い存在なのよ。
ねえ、アリス。そんなものに縋って、何になるの? そこに本当の貴女はいるのかしら?
みんながするから。みんなが言うから――そうして大多数に倣っていれば、確かに楽よ? でもそれでは自分が死んでしまうの。
ちゃんと自分の頭で考えて、納得しなきゃ駄目よ、アリス。自分で考えることを止めた人間は、脆く弱いわ」
母はアリスの背中をぽんぽんと軽く叩くと、ベッドに入るように優しく促してきた。
立ちあがり、そのまま母に背を押される形で二人で台所を後にし。
二階にある物置を改造した狭い自室のベッドに潜り込んだアリスを布団越しに撫でる手の重みが心地よくて、アリスはそっと瞼を閉じる。
「ねえ、アリス。ほんの一年前までは、貴女そんなこと言っていなかったじゃない。あの頃のリアム君と今のリアム君、母さんにはそんなに変わったようには見えないんだけど」
そういえば、リアムと二人で村の中央にでんと根を張る一番大きな林檎の老木で度胸試しをして。
二人して枝から降りられなくなっていたところを通りがかったおじさんに助けられ、後で両方の親からこっぴどく叱られたのはちょうど去年の今頃だったか。
今日、共同井戸に水を汲みに行った帰りに見上げてみたら、林檎の木は去年と変わりなく捻じれた枝先に赤い林檎の実をぶらさげていた。
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