偶像に備えられた肉

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コリント教会は、分裂の危機に直面します。 肉食派 偶像にそもそも神は宿っていない。オリンポス像はただの石の塊である。そこに供えられた肉を食ったからって、偶像礼拝になるもんか 反肉食派 いやいや、やっぱり、オリンポスに捧げられた肉を有り難がって食えば、オリンポス礼拝=偶像礼拝だと。 いやはや、アメリカの慣用句で、無意味な論争を「神学者の争い」とは、よく言ったものです。 それをパウロが裁いたのが、今回の引用箇所です。 パウロは、まず結論として、肉は食っても宜しいと宣言します。 偶像は神ではない。 神ではない者に捧げられた肉に神は宿らない。肉食いたきゃ食えとまず言います。 その上で、但し!と声を上げます。 肉食っても罪じゃないが、兄弟を躓かせることは大罪だと。 お前らがたかが肉の事で争って、それに嫌気がさして教会へ来なくなるヤツが出たら、肉食派は、「肉は食っても良い」という(ちっぽけな真理)のために、反肉食派を潰した事になる。 強い兄弟=偶像に神は宿らない、オリンポスは神でないと言ってのけられる強い信仰を持った人=ばかりじゃない。 弱い兄弟=ひょっとしたら、オリンポスも神の一部かも知れないと迷う兄弟=もいる。 キリストは、強い兄弟ばかりでなく、弱い兄弟のためにも死んでくださったんだ。 たかが肉でもめるなと。
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