過去。

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私は馴れ合いが嫌いです。 馴れ合い、褒め合い、慰め合い、しらじらしいうわべの付き合いをするくらいなら1人でいた方がマシ。 人それぞれ辛かった経験あると思います。 現状辛い人いると思います。 ですが辛さって人それぞれ違うもんです。 生まれてから死ぬまで、ずっと不幸な人はいません。 楽を知り、愛を知り、色々な物がまわりに有り、それが幸せから普通になった時に、人は初めて不幸と思うのです。 幸せを知らないのに不幸はわかりようがないんです。 関心のない物や人を好きにもなれないし、嫌いにもなれないんです。 よく不幸の度合いを自慢しあってる人いますが、環境や色々な物が似ているとしても、絶対100%相手から共感はしてもらえないし、自分も出来ないんです。 わかりようがないんですから。 だから、「私も同じです。」とか「わかる、わかる~」的な自分の勝手な基準を私に当てはめるのもやめて下さい。 私は同情されたくありません。 でも何にでも興味を持てて共感出来る、しようとする人は優しくて素敵だなと思います。 そして他人の為に泣ける人もいると思います。 でも、それは他人を哀れめるよっぽど自分に余裕がある幸せな人です。 それか、偽善者。 偽善者だらけの矛盾した世の中のコミュニティを外側から眺めてる側だったから、一般の普通がどんだけ矛盾してるのか常に疑問に思う。 多数派意見=普通 普通=間違ってない。 私はこの図式がどうしても納得出来ない。 少数派が正しい事をしてる時の方がよっぽど多いと思う。 私の考えを万人に認めて欲しいなんて思わない。 ただ、自分の中でしかわからない善悪(自制心や思いやり)の判断を間違えない人間でいたい。 ですので、私はこの飛べない鳥をかく事で自分がどんだけ不幸だったか(不幸と思ってないけど)を訴えたいではなく、読んだ皆様が自分自身の事を見つめなおすきっかけになればと思うのです。 私のお話内容なんてすぐに忘れて下さっていいんですw 皆様にhappy・lifeをッ(🎀´艸`)✨
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