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心地好い倦怠に包まれて、僕は長椅子の上を消えては現れる蝶のような空想と戯れている最中です。懶い私室。土曜日の午後。時計に明るい陽が差しています。
ああ、ずっとこのままであるような気持を持て余しています。
だから部屋着を制服に替えてみる。枯葉色のダッフルコートを羽織って「Ooh-La-La-La.」懶い私室、土曜日の午後。おでかけのしたく。……口笛は軽快に。
窓を開け放すと、噎せ返るほど冷たい空気が肺の底に落ちてきた。冬の空の乾いた青が僕の眼を突き潰すから、今日は俯いて歩いて行きます。
「どこ行くの?」
居間から母親が顔を覗かせた。
「図書館」
僕は靴を履いている。
「夕方には帰ってくるから」
「気をつけてね」
「うん」
ひらひらと手を振って僕は玄関扉を開けた。口笛BGMはラヴァーズコンチェルト。La-La-La.坂道を上ってく。
この坂道は高台の住宅街に続いている。この周辺の住民たちは一様に庭園趣味だから、散歩する僕の眼に楽しい。お手製の表札や郵便箱、洒落た門燈にも言及しておきたい。夕暮れに幻想化する区廓だ。
☆……
私設図書館『Ksiezyc』
入館料 \100
その真鍮製の表札は薄い三日月型をしていた。
住宅街のはずれにあるこの小さな図書館には、月理学、心理占星学、天文学、などの学術書や、月(The moon)に関する各国の伝承、伝説、言伝え等々の文献が豊富に取り揃えてある。
それらが、数階の床天井を取り払った吹抜けの館内に、壁一面、隙間無く収められて――1階からそれを見上げると、まるでここはBookでできた建造物だった。ふと何もかもが崩れ落ちてくるような錯覚を覚えることは珍しくない。
玄関ホールの料金箱に百円硬貨を入れて図書館ノートに名前を書いた。
『Riyo.入館時間14:45』
さてこの図書館を訪れる人といえば、天文学者や月理学者がほとんどで僕のような高校生はあまり出入りしない。
蔵書の半分が洋書だから読めないし、もう半分は難しくて理解できないから。ためしに一冊、手に取って開いてみると、わけのわからない記号や数字が並んでいる。ここには物語が一冊も無いのだ。
そんなわけで蔵書に関してはあまり興味が無いのだが、それはひとまず置いといて当館司書、佐伯斗美【Zevi Saeki】電柱のような手足と、洋燈のような瞳と、瓦斯のような髪とを持つ彼――
彼にはちょっとだけ、興味がある。
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