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母との別れ
小谷城落城から逃げ延びた、お市と娘3人は、信長の保護下にありながら、平穏に暮らしていたという。だが、天正10年(1582)、叔父である織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれてしまった。小谷城落城から10年も経たずに、またもや不幸に見舞われた。
信長亡き後、母お市の方は、柴田勝家に嫁ぎ、娘3人もそれに従い勝家居城越前北ノ庄城に身を移す。この時の勝家の年齢は61歳であり、お江にとっては祖父にあたるほど年齢が離れていた。だが、勝家はお市の方や3人の娘に懸命に愛情を注いだという。娘たちも、勝家の優しさに次第に心を開いていったというが、それもわずか半年間である。
義父勝家は、秀吉と「賤ヶ岳合戦」にて争い敗れた。居城北ノ庄城まで攻め込まれ、落城したのだ。勝家は自刃を決め、母お市の方も夫に殉ずる覚悟であった。勝家は秀吉に書状を送り、娘3人の助命を懇願した。秀吉もこれには同意し、娘を預かる旨を伝える。母お市の方は、娘3人に「生きながらえて、両親の菩提を弔ってほしい」と頼んだという。三姉妹にとって、二度目の落城であり、両親を失った戦いであった。
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