2012年1月2日

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退屈な日常 朝から自転車こいで塾まで行き、金魚に餌やって、塾の付近は鳥取大学医学部と、その付属病院に依拠した街だから、静まり返っている。学生食堂はもちろん休み、大学病院食堂も休み、かろうじて、ローソン大学前店が営業するのみである。居場所がないから、すぐ自転車こいで、帰って来た。おせちがあるうちは、他のおかずを作るのは面倒である。さりとて飽きがくる。それやこれやで、正月は、レトルトカレーが一番おいしい時期になる。 おせち料理が不味いのは、本来なら珍味として少量食うべきおかずが、山と積み上がるからである。 私は田作りが好きだが、アツアツご飯にのる程度の量だからいいのであって、正月の田作りは、多すぎる。 最近の市販のおせち料理は、これを解決すべく、高級感を出すため、エビフライやらローストビーフやら、鶏の足やらを搭載するようになったが、去年真似して作って懲りた。 冷静に考えれば、12月31日に揚げたエビフライが1月2日以降に美味いはずがないのである。 今から締める気になれば、うちには、牛一頭、鶏四羽がいる。無理すればそれに加えて、ウサギ一羽、猫二匹がいる。 だが牛は廃牛(乳を出さなくなった乳牛)であり、美味いと思えないし、屠殺それ自体に金がかかる。 鶏は、もともと食うために購入したのだが、私は酪農家としては落第である。飼い始めると、情が移って締められなくなる。 牛は、乳を出さなくなったら殺処分をするのが、酪農家の間では常識だが、前述したように、屠殺するのにも金がかかり、環境保全やら何やらで、今は屠殺場以外での屠殺は禁じられている。 ただ、農林省の定める乳脂肪分をクリアしなければならないから、乳をだす牛は無理やり濃厚飼料を食わされているが、牛なんてもんは、草食わせときゃ生きてる。山持ちで、しかし山なんか銭にならない雑木林の持ち主が、餌をくれる。てか、放牧を許してくれる。夏場は、耕作放棄地に入れてくれる。あと近所のガキどもが、残飯持ってやってくる。 ちょうど、「この子に乳やってくれよう」と乳母を探す子連れ狼のように、近所にたかりながら、牛は生きている。 この牛こそは、私の娘の乳母なのである。食らい抜け娘が餓死を免れたのは、この牛のおかげである。 最盛期は40リットルの搾乳が出来た。委託肥育先から「売ってくれ」と言われたこともある牛だが、廃牛となった今は、近所のガキの玩具である。
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