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カンカンとは、漢字で書くと、「看貫」、重量を計ることである。
汽車のカンカンとは、汽車の重量を計ることで、信州の製糸工女たちが、鉄道に投身自殺する事を、汽車の重量を計ると、「糸引き歌」の中で詠んだのである。
製糸工場の糸引き席には、費やした繭の数を表示する木札がかかっている。
仕事の終わりには、出来た絹糸を計量する。
つまり、繭の歩留まり率が個人別に明らかになる。いかにクズ糸を出さずに、製品に出来たかが、賃金に影響する。
絹糸のカンカンに入ると工女たちは、神経をすり減らした。生産量が多くても、繭の消費比率が、基準より高いと、材料を無駄遣いしたとして、給料から引かれた。
では、生産量が多く、歩留まりが高ければいいかと言うと、出来た糸には等級が定められ、1級合格の糸を少量生産した者が、3級糸を多量に生産した者より、手取りが多い事もあった。
生糸の等級は、糸ムラの存在で決まる。細く均質で、ムラのない糸が1級である。
生糸の輸出先のアメリカでは、すでに自動織機の時代を迎えていた。機械にかける糸は、ムラがあると、糸切れを起こす。1級糸しかアメリカは引き取らなかった。
明治も40年代、1級糸だけが、「外貨」を獲得出来たのである。
生産高・歩留まり・品質の三方向から責められたら、プレッシャーに耐えきれず、汽車のカンカンに走るものが出てくる。
糸引き女工の政井みねは、「百円工女」と呼ばれた、優秀な工女だった。年の暮れに、百円持って帰る工女という意味で、当時の百円は、飛騨で上田が五反買えた金である。
その政井みねは、20歳で肺を患い、工場から捨てるように放り出され、兄に背負われて、飛騨に帰る途上、野麦峠で息絶えた。
富国強兵時代の「産業英霊」が政井みねだった。
「ああ野麦峠」は、この事をテーマにした、ノンフィクションである。映画化もされた。
ただ、一つだけ、おせっかいながら、時代考証を。
舞台は、明治40年代である。
昭和10年代の糸引きは、もはや、「女工哀史」ではなかった。
中山製糸は、温泉を引いて、従業員の福利厚生施設を作っている。
工女を搾取しまくって儲けた製糸工場は、軍部に搾取されまくって、今はない。かろうじて、戦後、絹を捨てて化学繊維に転じた片倉製糸だけが、「グンゼ」ブランドで生き残った。
カネボウは、鐘紡で、もともとは紡績会社であるが、もう糸を紡いでいない。
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