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国立大学無償論
私の塾は国立鳥取大学医学部保健学科のまん前に立地している。
医学部医学科と生命科学科は、産業道路ひとつ隔てて、隣接している。たまに、学生会館の学生食堂を利用する。
保健学科側は、メニューが全体に安く、雑であるが、それでも、スィーツまであることに、時代を感じる。医学科側は、病院の職員や見舞客も利用するため、やや高級である。学生たちは、この二つを、「ブルジョア食堂」「人民食堂」と区別していると聞いて嬉しかった。まだその区分が残っているのかと、懐かしかった。
阪大食堂にも、ブルジョア食堂と人民食堂があった。ただ76年から83年まで、ブルジョア食堂と言えども、スィーツが並ぶことはなかった。
隣の京都大学は、三階層に別れ、人民食堂の下に、貧民食堂があった。ロクなもん食わさなかったかわり、国鉄運賃初乗り80円の時代に、納豆小鉢が30円、卵が20円だった。ご飯、納豆、卵で100円だった。都合、卵かけご飯は70円である。
繰り返す、国鉄運賃初乗りが80円である。
具が全くない、醤油で色付けしただけのヤキメシが正規のメニューとしてあった。名付けて、京大ピラフ。
今は絶滅しただろう。日本が経済発展しただけが原因ではない。その頃の京大は、医学部を除き、まだ教科書と参考書だけで、難関を突破してきた貧しい学生がいたのである。
京大くらいになると、育英会の奨学金を申し込んで、成績条項に引っかかることはなかった。文系で授業料免除、生活費は奨学金と家庭教師、京大ピラフと、残飯定食(夕定食として、不揃いな在庫一掃メニューを京大食堂は出した)で貧しい学生は、司法試験を狙った。
いつの時代も貧しい学生は、学歴か、軍隊に逆転を求めた。
私は両親とも、学歴逆転を狙ったモンペアである。
おとんは和歌山の部落の出である。おかんは、大邱の小作人から、軍相手のカフェを始めた成り上がりの娘である。
おとんは、京都帝大に逆転を託した。おかんは、京城高女までは、順当なエリートコースだが、敗戦で女子医専の道を塞がれた。
ゆとり教育と、国立大学の相次ぐ値上げで、国立大学は、ブルジョア御用達になりつつある。公立高校の授業と参考書だけで京大の門をこじ開けるのはほぼ不可能になった。
防大すら、塾予備校なしでは届かなくなった。
子ども手当てを海外に配る余裕があるなら、国立大学無償を先に取り組んで欲しいと思うのは私だけだろうか。
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