笑顔

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確かに僕は昨夜の電話で、黒木にだけ結婚の話をした記憶がある。 だが、僕はそのとき黒木に、誰にも話さないようにと念を押しておいたのだ。 人間の口約束などやはり信用できるものではないなと僕は思った。 しかし、僕には一点だけ腑に落ちないことがあった。 それは婚約者の名前だった。 僕は黒木に婚約者の名前まで話した記憶はない。 しかし、それとて確証のある話ではない。 もしかしたら、何かの弾みで僕が黒木に言ってしまったのかもしれない。 いや、むしろそう考えなければ辻褄が合わない。 僕は自分で黒木に話してしまったのだと結論付けて、自分を納得させた。 工藤はハンドルを切ると、脇道へと車を進めた 車一台通るのが精一杯の細い道は舗装されておらず、そのせいで車は激しく揺れた。 おまけに、道の両側に生い茂る身の丈ほどの低木の葉が車体と擦れ合い、ひどく不気味な音が車内に響いていた。 鬱蒼と繁った木々しか見えない辺りの景色と、雨や木の葉の奏でる不気味なハーモニーが、僕の不安を少しずつ掻き立ててゆく。 「君は本当にこんなところに住んでいるのかい?」 僕は不安を抑えきれずに尋ねた。 すると工藤は少し間を置いてから答えた。 「この先なんだ。もうすぐだよ」 やがて車の前の視界が突然ひらけて、僕の目の前に小さな広場と、そこに立つ一軒の家が飛び込んできた。 工藤は車を玄関の前に止めると、僕に車を降りるように促した。 僕は彼に言われるままに車を降り、雨を避けるために玄関の庇の下に身を寄せた。 彼もすぐに車から降りてきて、玄関を開けると、僕を家の中に招き入れてくれた。 ずいぶん古い家のようで、廊下を歩いているとキシキシと床が音を立てた。 彼は僕を居間に案内してくれた。 居間はキッチンとひとつながりになっており、合わせて十畳程度の広さがあった。 居間の部分だけ畳になっており、その中央にはずいぶん古びた丸いちゃぶ台がポツンと置かれていた。 彼と僕はそのちゃぶ台を挟んで向かい合うように腰をおろした。 外では雨がより一層激しさを増し、窓ガラスを叩いて、非常に不快な音を立てていた。
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