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位牌を祭壇に置き、花を生けて蝋燭に火を灯す。
鈴を鳴らせば、しゃらん、と音を震わせた。
喪服姿を解こうとせず、横座りで壁に体を預け、佐和子は放心したようにぼんやりと祭壇を見ていた。
遺影の中で、菊江はやや張りのある静かな笑みを湛えており、凛とした背筋が懐かしかった。
「――お母さん……着替えてきぃよ。汗かいたやろ……」
答える声はない。
桃香はぐっと唇を噛み締め、佐和子の脇の下に腕を差し込んで立たせようとした。
「さっとシャワーして、汗流しといなぁよ……ここにはうちが居てるから……」
「なぁ、桃――」
ぞっとするような、低い佐和子の声だった。
乱れた髪を唇に張りつけ、力のない虚ろな黒目で、桃香を見上げてくる。
開け放たれた窓の向こうはうっすらと夕陽がかり、道を行き交う誰かの声が微かに届いていた。
黄色く焼けた天井には、染み。
隅に片付けられた介護用ベッドと、菊江の嫁入り道具だったと言う桐の箪笥と鏡台。
ベッドの足元にある籠には、数枚のタオルとオムツ。
菊江の世界のすべてだった。
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