12

9/17
前へ
/270ページ
次へ
 位牌を祭壇に置き、花を生けて蝋燭に火を灯す。  鈴を鳴らせば、しゃらん、と音を震わせた。  喪服姿を解こうとせず、横座りで壁に体を預け、佐和子は放心したようにぼんやりと祭壇を見ていた。  遺影の中で、菊江はやや張りのある静かな笑みを湛えており、凛とした背筋が懐かしかった。 「――お母さん……着替えてきぃよ。汗かいたやろ……」  答える声はない。  桃香はぐっと唇を噛み締め、佐和子の脇の下に腕を差し込んで立たせようとした。 「さっとシャワーして、汗流しといなぁよ……ここにはうちが居てるから……」 「なぁ、桃――」  ぞっとするような、低い佐和子の声だった。  乱れた髪を唇に張りつけ、力のない虚ろな黒目で、桃香を見上げてくる。  開け放たれた窓の向こうはうっすらと夕陽がかり、道を行き交う誰かの声が微かに届いていた。  黄色く焼けた天井には、染み。  隅に片付けられた介護用ベッドと、菊江の嫁入り道具だったと言う桐の箪笥と鏡台。  ベッドの足元にある籠には、数枚のタオルとオムツ。  菊江の世界のすべてだった。
/270ページ

最初のコメントを投稿しよう!

394人が本棚に入れています
本棚に追加