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佐和子の前に屈んだ直樹が、視線だけで玄関を示す。
「やけど」
「ごめんなぁ、桃香。情けない兄ちゃんで、ごめんなぁ――…」
違う。
違う。
あやまってほしいのではない。
直樹には、美希がいる。
新しく生まれる命もある。
なにかをしてほしいなど、望んだことなどない。
畳に縫いつけられた足が、凍ったように動かなかった。
じっとりと、喪服替わりの制服の下で、汗が異常なほど滴っていた。
「――泣いてこい、お前も」
「兄ちゃん――」
「大丈夫やで」
踞りぶつぶつとなにかを言う佐和子を立たせるのを諦めた直樹が、桃香に歩みより、とん、と背中を押す。
「女の子や。友達違うんか」
駆け出していた。
長い廊下を、ぺたぺたと素足の張り付く音を響かせて、走る。
体に染み付いた線香の臭いを振り払うように。
――志緒。
志緒……志緒。
「志緒……!」
「桃ちゃん――…」
癖のある、柔らかな髪。
小柄でふっくらとした、体。
同じ闇を見つめてきた。
いつでも――志緒。
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