第0002話 裁判《さいばん》の行方《ゆくえ》

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司馬仲相が「韓信様、彭越様、英布様…」と3人の顔を観ながら姓名を確認していると、法廷に皇帝劉邦と皇后の呂雉(リョチ)が現れた 劉邦は「犯人は皇后だ、朕が戦で留守中に3人を殺したのだ」と言うと 呂雉は「皇帝陛下は外で戦ばかり、宮中は後継者争いで疑心暗鬼に溢れて居りました、妾は裏切り者達から息子の劉盈を守りたかっただけですわ」と反発した 司馬仲相が困っていると、呂雉は「確か、韓信に謀反を勧めた[(カイ)リ](萠の横にりっとう)(テツ)という説客がいた筈、陛下に謀反の疑い有りと捕われていたが釈放されたと訊いたのですが」と言うと 劉邦は「韓信が「[萠リ]徹の助言を聴いていればこうはならなかった」と言っていたので捕まえたが、[萠リ]徹は「犬は幾ら主人より地位が上だろうと、主人を守る為に主人意外には吠えるし噛み付くものです」と答えたので無実と思い釈放した」と言う 司馬仲相は「それでは、お話しを伺いたいので[萠リ]徹様を喚んでください」と言うと 陛下と皇后は、部屋の外から説客の[萠リ]徹を喚び出した [萠リ]徹は「私の姓は[萠リ]、諱は徹、後の前漢第七代皇帝の諱が同じなので後世の者は名を同じ意味の通と言い換えて呼んでいます、後世に産まれた貴男が判り安い様に七代目の皇帝陛下と区別する様に(ツウ)とお呼び下さい」と名乗った 司馬仲相は「私の為に気を遣ってくださり有難うございます、それでは[萠リ]通様、早速ですが、この件に関する思いをお訊きしたいのですが」と訪ねた [萠リ]徹、改め[萠リ]通は「七代皇帝が即位した頃の建元元年より56年程前の前漢初代皇帝劉邦様の代の春、韓信様は私の謀反の勧めに従わず長安城未央宮で簫何(ショウカ)に斬られ、夏に彭越様は仮病を患い陛下の勅命と部下の扈輒(コチョウ)の謀反の勧めを無視し皇后に(カイ:ししびしお)にされ、秋に英布様は陛下から下賜された醢と誅殺に恐怖し、側室との密通を疑われていた家臣、中大夫(キュウタイフ)費赫(ヒカク)が誅殺を恐れ、陛下に反乱計画を密告。項羽に似た布陣と流れ矢に当たった傷を憎み、英布軍は敗れ妻の弟の呉臣(ゴシン)の下へ逃れ、関わりを嫌った呉臣は腹心の利倉(リソウ)に英布誅殺を命じ、[番/3](番の右に邑(おおざと))陽湖(ハンヨウコ)(ほとり)慈郷(ジゴウ)の館で酒宴を開き、酔って寝室で寝首を掻かれ騙し討ちに()い殺されました」と証言した
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