第0003話 養子《ようし》の息子《むすこ》

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養子の息子 後漢第八代皇帝、順帝劉保は、外戚の閻氏一族を誅し、皇帝擁立の功労者となった孫程、曹節、曹騰、張譲、趙忠ら19名の宦官を讃えました。孫程は死後、剛侯を賜りました。後漢一代を通じ、宦官が諡号を賜ったのは孫程ただ1人でした 過度な権力集中を恐れ一代限りとしていた宦官に、順帝は帯妻と養子縁組と財産継承を許可しました 第11代皇帝、桓帝劉志の時代、外戚の梁冀一族300人と、手下の宦官、張[小軍]を逮捕し、庶人に落とし自刃させました。活躍した単超、徐[王黄]、具[王爰]、左[小官]、唐衡の5人の宦官が重用され五侯と呼ばれました 単超死後、4人は傲慢になり失脚するも、霊帝劉宏の時代には侯覧、曹節、王甫が権勢を誇り、党錮の禁などの政争で清流派を自称する張角らを政界から追放し濁流派と渾名され巷に怖れられました その頃には漢の名門、汝南袁氏さえも袁赦という宦官を輩出する程、宦官にはある程度の魅力が備わっていました 古の曹参の子孫を名告る曹節の親類、曹萌(字:子節)は、妻の劉月との間に曹褒(字:伯興)、曹鼎(字:仲興)、曹瑜(字:叔興)、曹騰(字:季興)を授かりました 老後、曹萌は流行り病、劉月は持病の頭痛で次々に亡くなりました 曹節の四男、曹騰は、宦官になると良い家柄の呉貞紫を妻とし、132年に生まれた呉貞紫の親類、夏侯朴と袁[王貴]の息子の『夏侯』嵩を養子に迎え、『曹』嵩と改めました 153年、曹嵩(字:巨高)は、賄賂で成り上がった丁樹(字:高森)の親戚の丁水潅を正妻に、身分の高い夏侯樸と袁浮の娘の夏侯月影を側室に迎えました。これは父、曹騰の考えた、[言焦]県曹氏に金と良き血筋を迎える為の政略結婚でした 154年、側室の夏侯月影との間に生まれ付き身体の弱い長男、曹喬(字:元林)を授かりました 翌155年には正妻、丁水潅との間に次男、曹吉利が生まれました 夏侯朴と夏侯樸は親類で、夏侯樸は、夏侯朴の妻の袁[王貴]の親戚の袁浮を妻としました 155年当時、『曹』吉利は後継ぎが居なかった夏侯月影の兄で夏侯樸の次男の夏侯厚の養子に出され『夏侯』阿瞞となりました 156年、夏侯樸の次男、夏侯厚に、長男の夏侯惇が生まれ、翌157年には夏侯樸の長男の夏侯潭に、待望の長男、夏侯淵が生まれました 158年に、曹彬。159年に、曹玉。160年には曹季という曹操の義理の弟が生まれました 166年、曹操の実の弟の曹徳、167年には下の弟の曹疾が生まれて曹操は7人兄弟となりました
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