第0000話 帝国《ていこく》の歴史《れきし》

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帝国の歴史 龍の落胤(らくいん)を自称する劉邦(リュウホウ)項羽(コウウ)を倒して久しく、漢王朝は400年を数え、霊帝(劉宏(リュウコウ))の治める頃になると朝廷内は()皇后や何将軍の親戚や後宮の宦官(かんがん)十常侍(じゅうじょうじ)たちの戦場と化し、都は天変地異で震え、賄賂(わいろ)での地位売買の汚職や私腹を肥やした金持ちたちで腐り初めていた… 紀元前221年、後に(しん)始皇帝(しこうてい)となる贏政(モウセイ)が群雄割拠していた国々を統一し、後年、農民などを使役し匈奴(きょうど)など北方騎馬民族への備えとして秦に統一する以前の各国が独自に建設していた長城を整備し、万里の長城として築かせ、宮殿のある咸陽(いよう)とは渭水(いすい)を挟んだ反対側に新たに豪華絢爛な大宮殿を造らせていた 老後、不老不死を望み、大海原の向こうに在ると云う仙人の住む伝説の国、『瀛州(もうしゅう)』へ不老不死の霊薬の造り方を学ばせる為に、方士の徐福(ジョフク)と若い男女の技術者3000人を遣わせた 徐福は新天地を求め、五穀の種と、技術者である百工(ひゃっこう)の若き童男童女3000人を始皇帝から借り受け、東方の三神山(さんじんさん)である『蓬莱(ほうらい)』、方壷(ほうき)ともいう『方丈(ほうじょう)』、東瀛(とうもう)ともいう『瀛州(もうしゅう)』を目指し出航、平原広沢たる広い平野と湿地を得て、その土地の王となり始皇帝の許には二度と姿を現さなかったと云う この事で徐福は、「始皇帝に不死の薬を献上すると持ち掛け援助を得たものの、実際には三神山へは出港せず、出港したふりをして外国へ逐電(ちくでん)し霊薬を名目に始皇帝から物品をせしめた詐欺師である」と目された 二代皇帝贏胡亥(モウコガイ)の代に、賓客専用の部屋や咸陽の宮殿へと繋がる専用の廊下などの建設が暫く続いたが、紀元前206年、秦の滅亡と三世皇帝秦王贏子嬰(モウシオウ)於隠(おかく)れに因り未完の儘に終わった 名称も付けられず、新しい王朝成立の混迷期に忘れ去られた始皇帝の大宮殿を、阿房村の住民がその地名に由り『阿房宮(あぼうきゅう)』と名付けたと云う
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