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「ね、玲奈ちゃん、下、見てごらん」
「ハ、ハイ」
下を見ると、薄い雲海の下に、もう春を迎えた町と、春を待つ山の稜線が緑色から茶色のグラデーションになっていた。
「俺たち、あそこ、あの、山が笑っているあたりから登ってきたんだよ。結構、登ったでしょ」
荒れていた呼吸が少し落ち着いてきた。
「山が笑う?」
「うん。知らない? 山の木々が、春が待ち遠しくてウズウズして我慢しきれず若葉を芽吹かせている、そんな様子を『山笑う』っていうんだよ。
春の季語。
俺ね、今の時期の山、好きなんだ。笑顔っていうか、そんな表情している山」
「そ、そうなんですか」
季語なんて。
武蔵先輩、理学部なのに、意外と風流。
「玲奈ちゃん、頑張ったね。初心者にはちょっときつい山だと思うよ。帰りは…負ぶってやろうか?」
武蔵はおどけて、いたずらっぽい表情で玲奈の顔を覗きこんだ。
「だ、大丈夫です。一人で降りれます」
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