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1929年10月に起きた世界恐慌を世界各国ではブロック経済や植民地の獲得により打破する動きが起き始めた。
そんな中ワシントン軍縮会議に参加はしたが国際連盟設立には参加せず、世界から孤立していたアメリカでは更なる海外領土の獲得を目指すべく中国からの外国資本撤退を呼び掛けたが世界各国は全く応じないのであった。
ルーズベルト政権はやむなくニューディール政策を行なったがあまり効果が上がらなかった。
1936年の大統領選挙では共和党に政権を渡す羽目になった。
新大統領は経済の安定と世界各国の植民地開放を呼び掛けたのに応じないイギリスやフランスを激しく非難し、対決を辞さない構えを見せた。彼の名は…
アドルフ・ヒトラー
ドイツ系移民の三世で、敗戦後のドイツに住んでいた事もある。彼はその時国内のとある政党「ドイツ国家社会主義者労働党」に顧問として参加したがあえなく党は解散。その時の党幹部をアメリカに呼び寄せて帰国し、共和党に入党。巧みな演説力と分かりやすい政策を国民に訴えて当選した。
彼は早速会議を開いて今後の政策を協議した。彼の閣僚は以下の通りである。
国務長官
ルドルフ・ヘス
商務省長官
アルベルト・シュペーア
首席補佐官
ヨセフ・ゲッペルスである。
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