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当時政府は、近隣諸国との外交に打つすべをなくしていた。近隣諸国はここぞとばかりに植民地化を狙い戦争を仕掛けて来た。前々から狙いを定めていた彼等の速度に同盟国の支援も空しく終わった。
結果日本の中枢機関は麻痺し、これに伴い国内の経済が著しく不透明になった。またそれまで国勢に関心のなかった若者たちや穏健と暮らしていた武闘派連中が憤怒をあらわにし内乱を起こした。
この主要メンバーの一人に津島亮の名があった。彼は柳生心眼流を修め後、居合の町道場に通っていた。これ以上己を高めたところであまり意味がないと考えていたのである。道場長に支部を任される話を頂いたが断った。
そんなおり、戦争が勃発しレジスタンスのメンバーとして声が掛かったのだ。この声を掛けたのが当時弓道の名手と称賛を浴びさせられていた佐和田敬子である。
津島は直ぐに覚悟を決めた。経済が不安定に――貧困の一途を辿り出した現実、子供が食べ物を万引きしそれを親が横取りするといった類の光景を何度も見てきたからだった。
津島の属したレジスタンスチームは間もなく最大となり、内戦に勝利し他国からの攻撃も退けるまでに至った。
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