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1638年9月5日に誕生して僅か4歳で即位し、ルイ13世は41歳の若さでこの世をさったためだが、ルイ13世は自分の死後に王妃が国政に関与する事を、好まなかったので王妃が影響力を持つことを、防ぐために遺言を残したが、王妃とマザラン枢機卿は、パリ高等学院の支持をうけ、ルイ13世の遺言を破棄してしまう。
王妃はイタリア出身のフランス市民権を持たないマザランに宰相として全権を委ねてしまったためマザラン枢機卿はフランス政界では嫌われていた。
ルイ14世は即位はしたものの実質的には、飾りのような物でしかなかったし、国民の反乱も度重なりなんどもパリから脱出しては戻りまた戦争などで脱出しては戻りを繰り返していた。
フランスとスペインとの小競り合いが続いていた為、スペイン王女との婚約も決まっていたがルイ14世は、スペイン王女との結婚を拒絶した。
ルイ14世はこの頃マザラン枢機卿の姪と、恋仲だったためと言われているが、スペイン王女との結婚は国の左右するもんだいでもあるので、マザランはこの2人を無理やり別れさせてスペイン王女との結婚を執り行なった。
ルイ14世の妻になったマリーテレーズは、スペイン王位継承権を放棄しその変わりにスペインは莫大な持参金を渡す約束が執り行われたが、スペインは持参金を渡せなかったために後にルイ14世はこの未払いの持参金をもって、王位継承権を主張しスペインとの戦争の口実としました。
マザラン枢機卿が死亡したのちにルイ14世は、宰相をおかないことにして、マザラン枢機卿が死亡した後に、ルイ14世は事実上やっと、フランスの王になったと言えます。
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