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「……潮の香りだ」
ふわりと香ってきたそれに、彼はようやく足元から視線を引き上げた。目の前に広がる内海。恐ろしいほど澄み切った蒼は、湿り気を帯びた濃い灰色の雲を映し出していた。
その対岸には「塔の國」と呼ばれる巨大な建造物が見え隠れしている。門以外の全てに城壁を巡らせてあるようだ。ここからでは抜きん出て高い建物と、そこに施された極彩色の装飾が遠目に分かるだけである。
袖をずらし、手首につけられた細く頑丈な鎖を見た。しゃらりと涼しげな音をあげるそれを彼は忌々しげにねめつけた。
ようやくここまで来た。この国に近づく度に足取りが重くなり予定より二日遅れての到着となってしまった。
やっと抜け出てきたはずの森を振り返り、引き返した方がいいのかもしれないという思いが、むくりむくりと大きくなる。
それを振り切るように頭を左右に動かし青々とした樹木に近づくと、咲きそろい始めた花が微かな芳香を放っていた。ゆっくりと深く息を吸い木を背に凭れる。さらさらと流れる黄金の髪が顔を覆う。そのまま彼はうなだれるように座り込んだ。
とりあえず、ここまで辿り着いた。__着いてしまった。
息をつくと疲労感が緩やかに身体を回り始めたようだった。重くなった目蓋を懸命に押し上げる。
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