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ある冬の休日。
コーヒーを飲み終えたアール氏は、煙草を切らしていることに気が付いた。
普段ならコンピュータで注文し、
三分と掛からない内に手に入るのだが、
そのコンピュータが壊れているのでは どうする事も出来なかった。
便利な時代だからこそ、
それが使えない時の煩わしさは大きい。
ボタン一つで快適な暮らしに、などと詠われたコンピュータが売り出されてから早十年。
既にそれは見事なまでに社会に溶け込み、
欠かせない存在となっていた。
とは言え、それは単なる時の変化であり、
不便な時代を知っているアール氏にとっては不可欠という程のものでは無かった。
「煙草を買ってくるよ。
ついでに、何か欲しいモノはあるかい」
アール氏はソファに横たわる妻に問いかけたが、
彼女は視線を動かさず、答えるそぶりすら見せなかった。
ボロボロの傷んだ髪。
ハリのあった白い肌は乾燥し、ひどく荒れている。
その服装はというと、またひどい。
何日も着替えていないのか、薄汚れ、ところどころ染みがついていた。
元来、出不精であったアール氏と妻だったが、
ここ数年の妻のそれは著しかった。
若い頃には珠のように美しかった彼女は、すっかり腐敗してしまっていたのだ。
そして、それを見る彼の方もまた、腐りきっていた。
人生に意味を見いだせず、暇さえあれば死ぬことを考える。
生きる意味を問うなどということは、
「卵と鶏どちらが先か」などという無限連鎖的な無意味な行為に同じなのだ。
彼は溜息をつき、机に無造作に置かれたマフラーを巻くと、
壊れたコンピュータの側に横たわる眼鏡を掛けた。
「いってくるよ」
妻は答えない。
アール氏は黙って扉を開ける。
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