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ためらいを感じ、彼女は閉じていた目を薄く開いた。
――その時だった。
ある光景が脳裏に次々と映し出される。
家で竹刀を振る自分の姿。
熱中しすぎて気付けば昼過ぎ。
喉が渇いて後ろを振り返ると手に車のキーを持った母。
「あ……れ…?」
断片的な記憶は時を更に進める。
胴着のまま車に乗り込んで退屈そうに外を眺める自分。
信号が赤になって止まる車。
母は楽しそうに笑う。
自分は適当に相槌を打つ。
信号は青に変わって走る車。
そして――――。
「…嫌だッ…。思い出したく、ない…!」
窓の外から不自然なトラックを見つけた。
そのトラックは信号が赤だというのに止まる気配がなく、スピードも落ちないまま。
――嫌な予感がした。
そのトラックと母の運転する車はまるで磁石のようにゆっくりと引き寄せられていく。
自分が喚いて母が気付いた時にはもう遅かった――。
「……ッ…!」
『思い出した?』
頭を押さえ必死で正気を保とうとする。
汗をびっしょりかいてはりつく胴着が気持ち悪いけど、そんなのはどうだっていい。
これは…この記憶は間違いなく自分のものだ。
他人から与えられたものじゃない。
――だとしたら…?
声の言ったことは事実で自分は本当に死んだのか。
音は項垂れ俯く。
「……ははっ…。」
彼女の唇から漏れるのは乾いた笑い。
そして、その笑いとは裏腹に音の頬に冷たい滴が一筋の線を描く。
嬉しいわけじゃないのに、笑ってしまう。
悲しいわけじゃないのに、泣いてしまう。
ただこの先自分がどうすればいいのか分からなかった。
自分が死んだということは、もう…母のいたあの世界には戻れない。
何の因果があって幕末という動乱期に自分がいるのか。
どうして自分なのか…。
「…あれ?」
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