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『また短い夏が来ましたね』
介護師の安斎さんが額の汗を拭いながら荷物を片付ける。
安斎さんは三十半ばの女性だ嫌な顔一つ見せずにテキパキと良く動く。
『えぇ、毎年楽しみにしているんですよ。今年こそはと願いながら……。もうこの本もいい加減ボロボロだ、ワシの体と同じ、あはは……』
三郎はそう言いながら安斎に表紙や折り目がボロボロになった一冊の本を見せた。
『そんな、二本松さんはまだまだお元気じゃないですか、内の父親なんか二本松さんより若いのに、もうくたびれていますよ』
安斎は縁側の軋む廊下に雑巾を掛けながら三郎に向かって舌を出した。
『いやいやワシはもう七十、あちこちガタがきてる』
縁側に腰を降ろして夕暮れを待っていた。
『お世話になりますね』
トイレから戻った里子は三郎の横に腰を降ろした。
『えぇ、短い間ですがゆっくり療養して下さい。もうじき蜩が鳴き始める……。安斎さん今日はもう上がりなさい、後はワシが出来ますから』
『はい、此処まで掛けたら上がります』
安斎はせっせと雑巾掛けをこなしながら答える。
安斎の額の汗が残暑を思わせていた。
毎年8月23日から30日までの一週間だけ里子は三郎の家を訪ねていた。
特別介護施設の外泊許可が年に一度だけ降りる。
月日はいつでも構わなかったが、ただし一週間だけと言う介護施設の規則があった。
三郎は蜩の鳴き声が心地良く聞こえるこの時期を選んだ。
夕方になると山間から吹き抜けてくる風もまた、一段と心地良くて、気持ちが透明感に染まる瞬間がたまらなく好きだったからだ。
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