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三郎は里子を初めて見た52年前の夏を思い出していた。
そして、あたかも里子が自ら日記に綴ったかのように白紙のページを捲る。
蜩の涼しげな鳴き声に合わせるようにゆっくりと白紙の日記を語り始める。
ゆっくりと……
……始まる。
三郎と里子が出逢ったのは52年前の夏、戦後十数年経った頃だった。
高度成長期へと日本が差し掛かる頃でもあった。
終戦直後GHQの一方的とも言えるポツダム宣言を受託した日本は新憲法の元、華族制度等の廃止により民主主義、自由の国へと姿を変え始めていた。
しかし、まだまだ自由など程遠く、貧困の差は激しく闇市は所狭しと店を並べ農家で生計を立てる家族は貧しい生活を余儀なくされていた。
そんな貧困な生活を支える為に子供達は奉公することもまだまだ少なくはなかった。
三郎もそんな貧しい農家に生まれ幼い頃から日雇いで闇市の手伝いをしては家計を助けていた。
三郎が18歳の秋、闇市の一斉摘発が行われると、ぞろぞろと逮捕者が出た。
三郎も十日余り警察に拘束される。
仕事を失った三郎。
親戚の紹介で奉公へと出る事になる。
奉公先は神戸の元華族、海藤家だった。
海藤家は華族時代に二代目が小豆の先物取引で失敗し破綻寸前の所を今の三代目が油精製で成功を収める。
主にベニ花やヒマワリから油を抽出し加工していた。
夏にはヒマワリ畑を秋にはベニ花畑を管理、草取りに農薬散布、刈り入れや搬送の仕事を任される事になった。
季節は夏、三郎がヒマワリ畑で農薬散布をしている時だった。
『すっごぉ~い!ぜぇ~んぶヒマワリなんやぁ』
聞き慣れない女性の声に三郎はキョロキョロとその声の主を探す。
『ヒマワリから油が採れるなんて不思議やわ』
『あはは…サトコはほんま何も知らんのやなぁ』
『お兄様は賢いから、どうせ私はアホですよぉ』
『ご苦労さん』
後ろから声を掛けられ振り向く三郎。
『あっ、ご苦労様です』
三郎は麦藁帽子を素早く取ると、首に巻いた汚れた手拭いで額の汗を拭う。
海藤家の長男、進に深々と頭を下げた。
『どう?虫は大丈夫かい?』
『いやぁ、アブラ虫が酷いです、ちょうど今薬を撒いてるとこでして』
『くれぐれも手遅れにならんように塩梅頼むよ』
三郎は里子に気を取られていた。
白いチューリップハットに白いワンピース。
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