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喜一郎は里子を少し甘やかし過ぎたかと眉を細めた。
『とにかく今度の日曜日は用意しときなさい、朝十時に迎えのハイヤーがくるよってに』
『もう憂鬱やわ、お父様はいつも勝手に決めるんやから、かなわんわ、もうこれが最後にして欲しいわ』
『よっしゃ、約束する、まぁ先方さんはよう出来た人やさかい里子も気にいると思うわ』
喜一郎は安堵感からか笑顔を戻すと、また扇子を広げて仰いだ。
里子は不機嫌な顔をして母屋を後にした。
その頃三郎は仕事を終えて轍を辿りながら海藤家へと歩いていた。
直ぐ脇には小川が流れている。
小川のせせらぎと蜩の鳴き声が重なっていく。
カナカナカナカナ……。
空を眺めると一番星が六甲山の山頂近くでぼんやりと輝いていた。
三郎は道草を噛みながら歩く。
何気なく脇を流れる小川の方に目をやる三郎。
『おっ!ホタル?』
チラチラ飛ぶ一匹のホタルが三郎の目の前を横切った。
そのチラチラ飛ぶ主を追いかける。
三郎より背の高い草を掻き分けると小川が顔を出した。
その小川の周りを無数のホタルが群れている。
『すげぇ!何だこれ……』
目の前で群れるホタルは圧倒的だった。
ホタルが群れる周りが明るくさえ感じる。
『もう少し暗くなったらもっとキレイなんだろうなぁ……』
暫く黄緑色に輝くホタルの舞を見入っていた。
海藤家に着いた三郎は真っ先に井戸へと急ぐ。
手漕ぎのポンプをキーコ、キーコ鳴らしながら冷たい井戸水で顔を洗った。
『ふぅゎぁ~っ! 生き返るぅっ!』
タライに井戸水を溜めると頭を直接タライの中に、ざぶぅーんっと浸けた。
手探りで置き場所が決まっている固形石鹸を手繰り寄せると、直接石鹸を頭にこすりつけてゴシゴシ頭を洗う。
『最高!気持ちいぃ~』
真夏の容赦ない日差しで火照った頭を、冷たい井戸水が冷やしてくれる。
と、同時に頭にこびり付いた汗を洗い流してくれる。
頭を洗い終えると汚れたランニングシャツを素早く脱ぎタライに浸けた。
手際良く固形石鹸をこすりつけて洗濯板の上で、何度も上下にジャブジャブ、ゴシゴシを規則正しく繰り返す。
『嫌だぁ~早く服を着てよ』
井戸端に来た里子が後ろ向きで三郎に言う。
『あっ、すみません』
慌てた三郎は、まだ洗い立てのランニングシャツにそのまま首を通した。
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