蜩(ヒグラシ) を聴きながら

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. 『もう、着はったん?』 『はい』  三郎の言葉に振り返る里子は少し照れていた   三郎も振り返る里子に妙な緊張感を覚えていた。 『ぷっ!』  里子は口に手を当てるとクスクス笑い出した。 『……?』  三郎は自分をキョロキョロ見回す。 『ランニングシャツ裏返し、ボトボトやし、ちゃんと着替え用意してから洗えばいいのに、可笑しな人』 『あっ、はい』  また三郎は慌ててランニングシャツを脱ぐと急かされるように首を通し直した。 『女性の前で裸はあかんし』 『あっ、はい』 『まぁ、うちが勝手に此処へ来たさかいに……』 『いぇそんな、気をつけます』  三郎は照れながら頭を忙しなく掻いた。 『埼玉の方から来たんやてね、お兄様から聞いたんよ』 『はい……』 『神戸はええとこや、外人さんもぎょうさん居るしな、休みの時にでも里を降りはったらええわ』 『あっ、はい是非』 『うちの前ではそない畏まらんでもいいし、うちと同い年や』 『はい』 『うちは堅苦しいのは嫌いやねん、息が詰まるさかい、うちの家族の前だけで充分や』 『けど、私は奉公人の身ですので』 『ぷっ、わたくしはだって、あはは…可笑しな人』 『はぁ?』  三郎は里子がクスクス笑う意味が良く解らなかった。 『世の中は平等になったんや、うちの家かて今は華族じゃないんや、自由、自由の世の中や』  里子は空を見上げていた。  その里子の姿を追う三郎。  三郎も空を見上げた。  いつの間にか星達が輝きを増していた。  三郎は輝く星達を眺めながらさっき見たホタルの舞を重ねていく。 『ついさっき、畑の小川でホタルがたくさん群れていましたよ』 『ホタル?』  里子は視線を三郎に移した。 『はい、ホタル』 『そうなんや知らんかったわ』 『今頃、この星に負けないくらい輝いていると思います』  三郎はまた空を見上げた。 『へぇ~サブロウさんはハイカラな事言うんやね、余計ボトボトのランニングが不釣り合いで可笑しいわ』  里子はまたクスクス笑った。 『それでは、戻ります』 『うん、明日も暑い思うけどヒマワリさんの面倒見てあげて下さいな』 『はい、頑張ります』  三郎は里子に頭を下げると離れの部屋へと向かった。  里子はクスクス笑いながら三郎の後ろ姿を見送っていた。  ボトボトのランニングシャツが可笑しかった。 .
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