1人が本棚に入れています
本棚に追加
「ふぅ、疲れた」
「夏樹さん、まだいたんですか? もう定時過ぎてますし、帰ってもいいですよ」
「ううん。みんな頑張ってるんだし、私も頑張らないと」
時計の針は七時を回っていた。夏樹の定時は五時なので、二時間の残業をしていることになる。
「夏樹さん、なんかいいことありました?」
「え?」
「だって夏樹さん要領いいからいつも仕事定時には終わるのに、今日に限って残業だなんて」
いいこと。と言うほどでもないのだとは思う。知り合ったばかり、もしかしたら一期一会になってしまうかもしれない。
それでも、春香に出会ったことは、夏樹に少なからず影響を与えていた。
「……なんだか、昔の事思い出しちゃって」
「昔? ああ、まだ現役の頃ですか」
「もっと前。家出して、この事務所に拾われて、必死に歌練習して……あの頃の事思い出したら、私もっと頑張らないとって思って」
自分と同じとは言わない。だが、春香の姿は、夏樹の昔の姿によく似ていた。
「へえー、夏樹さんもいろいろあったんですね」
「そうです。いろいろあったんです。私をなんのドラマもない女だと思わないでください」
「はいはい……夏樹さん、仕事何時に終わります?」
「えっと、もう終わって、雑務やってるだけですけど……」
夏樹は要領がいい。仕事は定時に終わっている。なので二時間ずっと誰もやろうとしない雑務をやっていたのだ。
「じゃあ、飲みに行きませんか? 奢りますよ」
飲みに誘われ、夏樹は一瞬考える。
(たまには、いいかな)
「はい、じゃあ、お言葉に甘えて」
夏樹は事務所を出る準備を始めた。
最初のコメントを投稿しよう!