偶然の月

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 いま思えば、その時はかなり思い詰めていたんだと思う。『絶望』に身をひしがれるようなものじゃないにしても、ある種の『不可能』には確かに身を置いていたんだ。なんていうか、例えば「πを実数で表せ」みたいな結論を他人に要求されたとしても、それを解決するのは論理的に不可能な話だろ? 無理数という言葉がどのような概念を持ってして生まれたのか、考えてみればわかることだ。ものごとの発祥や成り立ちには、それなりに原理に即した理由があるからね。  しかし世間は発祥や成り立ちなんてものにはとんと興味を示さない。これって実に怖いことだと思うんだ。だって世間ではなにかと理屈をつけて――単純に割り切れないような無理難題が頻繁に投げ掛けられているじゃないか。平気でそんなことを押しつけあうなんて正気の沙汰とは思えないような類いのね。しかし世の中では往々にして、それが当たり前のように繰り返されている。ストレス社会とはよくいったもんだ。  しかしおれが気にしてるのはそんなことじゃない。ここで問題なのはおれ自身の『性質』なんだ。なにが言いたいかというとつまり──そういった無理難題を前にすると、おれの場合、なんていうか、胸が躍るんだ。なんとしてもそれをやってのけてみたくなる。実にくだらないことだとはわかってる。でもそういったくだらないことには一種の充足感が潜んでいるんだろうな。でも考えてもみてほしい。「答えのないことに取り組む」。一見ばかげてはいるけれど、それって真剣に生きる上では案外重要なことじゃないか? むしろくだらないことに一生をかけている節は誰にだってあるだろう?  そんなわけでおれは自身のそういった性質が災いして、とかく厄介な問題を抱え込むはめになった。質の悪い──『なぞかけ』みたいな問題をね。そして答えを見いだせぬまま、そのことにとことんのめり込んでしまった。都合の悪いことに、その時のおれは周りが見えていなかったんだ。いくら頭を悩ましたところで──機転が利かない限りは──脱却する術はなかっただろうにね。状況はみるみる追い込まれていったよ。最終的な状態を一言でいいあらわすなら、『断絶』って言葉がふさわしいと思う。おれは確かに断絶されたんだ。時代や、社会や、人間関係や、そして自分自身からも。気づけばおれはありとあらゆるものごとから切り離され、そして取り残された──実際的にも、観念的にもね。  
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