58人が本棚に入れています
本棚に追加
…*序*…
たゆたゆと揺らぐ海水の立体的で複雑な揺れを、ジンは細胞で感じている。
シー ゴボゴボゴボ……。
シー ゴボゴボゴボ……。
落ち着いたリズムで呼吸音が聞こえる。他の音はない。
ぐんと海底が沈んでも体は重力にひっぱられたりしない。浮遊感を楽しみあたりを見回す。
視界はまあまあ。吐き出した泡が上がっていく。
貝やフジツボや何だかよくわからない物が着いたごつごつした岩、揺れる海藻。
目の前にいきなり大きな魚が現れ、目が合った。驚きを感じる間もなく、それはすいと向こうに泳ぎ消えた。
カンカン
タンクを叩かれてジンは振り返った。
チヒロのぱっちりした黒目がちの瞳はダイビングゴーグルの向こうでさらに大きく見えた。
ゆらりゆらりと結んだ髪束から解れた髪が水中で踊っている。
だけど、人魚のような優雅さなどなくて、どこか無様に思えるのは私だけなのかな。ジンは心の中で嗤った。
レギュレータを咥えたやや薄い唇をアヒルみたいに尖らせて、チヒロは笑ってジンを見ている。
排出された泡の柱が揺れながら昇っていく。
ジンはチヒロのハンドサインを読む。
親指を下に向け『潜降する?』 ゲージを向け『エアは?』
タンクのエア残量を確認した。
指で数字を表すとチヒロはオッケーサインを作り、親指を上に向けた。『了解。浮上しよ』
ゆっくり。ゆっくりと、ひらりひらり…フィンを着けた足で水を蹴り上がっていく。
小さな小さな輝く泡と共に。
それよりも速くならないように。
スピードを合わせる。
人に教えるためには、ちゃんと意識してやらなくちゃ、ジンはそう思いながら海上を目指した。
チヒロの腕がジンの肘を軽く掴む。
見れば同じスピードでぴたりと横に着いてオッケーサインを出す。『その調子でいいよ?上手』ってそのゴーグルの向こうの瞳で言う。
バディ
同じスピードで
同じところに顔を出すため
海上を目指して
浮上
水を蹴り、上がりながら下を見る。
揺らぐ海の中、目印もなくて、もうさっきまでいた場所がどこだったのかわからない。
最初のコメントを投稿しよう!