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新倉さんは拒絶されても無視されても、受け入れられるまで時間を掛け、何度も母と面会し、何度も兄と話し合い、最終的には法的手続きを取って後見人になってくれた。
これで兄が母のお金に勝手に手を着けることはできなくなり、母の生活を脅かす機会を減らすことができる。ほっとした。
見せかけの、と新倉さんは私に言った。
「お兄様と古瀬さんが直接対立しないで済むように、というのが本音の部分ですから実質的に動いたり、意思決定の際は古瀬さんがなさるという条件で、よろしいですか?もちろん、無報酬ではないのでわたしもちゃんと働かせて頂きますが」
その言葉の通りに、さらに兄とも距離を縮めて、精神科の受診、障害者年金の受給手続きなどにも力を貸してくれた。
本当に頼りになった。
一人じゃないと思える。
それがとても心強かった。
その兄も急死した。
たった一人で誰にも看取られることなく。
あの時、新倉さんの胸で、泣いた。
私を突き放さずに、抱いてくれた。
新倉さんの背中を見ながら歩いていく。
廊下はふかふかしていて気をつけていないと足を取られそうにも思えた。
立ち止まった。
手慣れたように、新倉さんはカードキーを差し解錠する。
ドアをゆっくりと押し開くと、照れるわけでもなくいつものように背筋を伸ばしたまま、礼儀正しく微笑んで「どうぞ」と、私を先に部屋に通す。
背中でドアが閉じたのは、空気がくんっと押し込まれたような感じがして、わかった。
新倉さんはすいと私を追い越した。
瞬間、ふわっと甘やかな香りがした。
初めて知る香りに胸がきゅっとする。
テーブルに静かに鞄を置き窓際に行く彼を、私はただ目線で追っていた。
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