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「終わりがどこかわからないからねぇ」
「……うん」
小さな体をちょこんと車いすに乗せて、母はじっと海に顔を向けていた。
私が子供の頃、母はもっと大きかった。
時間が母からいろいろなものを吸い取って行ってしまうんだ。
母を見下ろして、そう思った。
「晴信は、まだ明日が続くと思っているうちに死んだんだろうよ」
「……そうだねぇ」
「愛?」
「うん?」
「あんた、何だって古瀬君と結婚したの?」
「うーん。まぁ子供だったから?」
「私はねぇ……命の営みに、罪はないと思うんだよ」
「うん」
「あんた、悔いを残すんじゃないよ?」
「はいはい」
「どんなことでも過去になる。黙って、胸にしまったまま……生きて行くことは、できるんだから」
「そんな経験あるの?」
母はいったん口をつぐんだ。
不思議なリズムを刻む波音。
ゆるゆると吹いていた風が、止まった。
「……死ぬのは、難儀なことだねぇ。晴信さんは……どこにいったんだろうねぇ」
2年前に兄が亡くなったのは、腹部大動脈りゅう破裂が原因だった。
その時、兄は、手術を控えて母が入院中だったから、たった一人で家にいた。
まだ本格的な夏を迎える前の、梅雨の終わりの頃だ。
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