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私はもちろんわかっているのに、気付かないふりをして首を傾げた。
奈々枝がお笑い芸人のように、わかりやすく「悪い顔」をして見せる。
「決まってるでしょ?あっち」
「良かった。一緒に過ごせて」
「バレないようにしなさいよ?」
「もうしない。今は」
「もー愛のばか!決めることないんだってば!」
奈々枝はがぶりとコーヒーを飲み干す。
「そんなだったから、愛ってば古瀬君と」
「……うん」
両手の中にある空になったマグカップを見つめた。
奈々枝は、自分のマグカップを片手にすくっと立ち上がった。
私の手からマグカップを取り上げる。
「ついでに、ね。何がいい?」
あの時のミネラルウォーターは、甘かったっけ。
「あ。じゃあ……お水」
「はいはい。レモンは?」
「なしで」
ドリンクバーに向かう奈々枝の後ろ姿に笑いかける。
菜々枝は知っている。
初めて飼ったセキセイインコ、出て行った父、猫のチャラ、兄や母との関わり、古瀬君、たくさんのことを、その胸に収めている。
この席で、泣いた。
あの日は風が強くて、波がうねっていた。
でも今、窓から見る海は凪いでいる。
あの日、コンビニ袋を巻き上げて、あの時、新倉さんのコートの裾を弄んでいた風も、ない。
ふわりとコーヒーの香りが近づいてきた。
目を上げる。
片手に水の入った冷たそうなグラスを持ち、もう片方の手のマグカップを鼻先に近づけ、満足そうに笑っている奈々枝と目が合う。
私の前にグラスを置くと、奈々枝は一つ深呼吸をした。
「さて、たっぷりと聞かせて貰わなくちゃね」
グラスの水を口に含む。
あの時ほどの甘さは、残念ながら感じられなかった。
話すことはたくさんある。
母の残した宿題も、古瀬君の隠し事も、これからのことも……。
私も一つ、深呼吸をして口を開いた。
バッグの中でサイレントモードのケータイがメール受信を告げていた。
~完~
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