其之拾六【桜色の新風】

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 隊務を終え、屯所で昼餉を済ませた咲郎は、近藤の使いで伏見奉行所へ書状を送り届けた。 「大坂西町奉行所より、新撰組に対する再三の苦情が寄せられているそうでな。その返状を認めた」  近藤は、眉を顰めてそう言っていた。 「大坂……。何故です?」  ここのところ、大坂では何も変事は起きていない。 「例の小野川部屋事件さ」 「……それは、もう済んだ事ではないのですか?」  咲郎の言葉に、近藤は尤もといった風に頷いた。 「まあ、執念深い輩もいるということさ。喧嘩沙汰で力士を殺傷した壬生狼が、大手を振るって不逞浪士取締りたぁ片腹痛いって事だろうが……」 「昨年の仇討ちの件は……」 「ああ、幸いその件には触れちゃいねぇな。あれは、伏見奉行所と会津様が秘密裏に収めてくれたからな」 「けど、済んだ事に荒波を立てるのは納得できません」  憤慨する咲郎に、近藤は苦笑した。 「歳みてぇな事言うなよ」 「え?」 「はは、まあいい。とりあえずこれを伏見の奉行所へ届けてくれ。総司には言うなよ。あいつは今何してる?」 「総司兄は、原田さんや藤堂さんと碁を囲ってます」 「よし、気付かれないように行ってくれ」 「解りました」   ――という経緯だった。  取次役に書状を手渡し、咲郎は足早に奉行所の出口へと歩む。 「ご苦労様です」  奉行所の役人達は、浅葱色の羽織を纏った咲郎とすれ違う度に、深々とお辞儀をしてゆく。  大人達の大仰な態度に戸惑う咲郎であったが、近藤局長の使い番として礼を欠かぬよう振る舞った。  奉行所は、新撰組の屯所と違い厳格な趣しか感じなかった。  もっとも、それは新撰組外部の者からすれば、とんでもない誤った感覚なのであろう。  泣く子も黙る新撰組の屯所といえば、壬生狼の巣窟なのだ。  だが、咲郎から言わせれば、  ――屯所には、土臭さと活気がある。  彼にとっては、人間味のある温かな我が家であった。 (そうだ、確かこの辺りにも団子屋があったっけ)  沖田に教わった団子屋は、一軒や二軒ではない。河原町、清水五条から西院、伏見とあらゆる団子屋の所在を叩き込まれた。  おそらく、京の団子屋を語らせたら彼の右に出る者はないであろう。 (よし、お福や総司兄に買っていってやろう)  咲郎は、小走りで団子屋の通りへ入ろうと角を曲がった。  その時、長身の男と正面から激突した。
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