其の二

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 僕が当時暮らしていた町の電信柱に、祖父の手書きの広告が貼られているのをよく見かけた。 「襖や障子張替えます」  和紙に連絡先と電話番号が筆で書かれた、全く手作りのチラシだった。  祖父はその仕事を始めたばかりの頃、和紙の裁断機で二本の指を付根から落としてしまったらしい。僕が物心ついた時には勿論もう無かった。いや、無かったと言うのは正確ではない。あったが義指だった。現在の医療技術であれば、早急に処置をして、上手く結合出来たのかもしれない。でなければ、本物そっくりの義指があったに違いない。しかし、祖父のそれは違った。遠目に見ても判るほどの偽物だった。その所為か、外出する時には夏でも手袋をしていた。  僕が今でも不思議に思うのは、利き手である右手の二本の指を無くしながら、襖や障子の張替えが可能だったのかという事だ。一体どうやっていたのだろうか。一度でも付いて行って、その様子を見ておけば良かったと、今にして思う。  その日も慣れた手つきで、フォークだけで食事をしていた。僕には見慣れた光景だ。祖父の食事が終わると、いつもの様に挨拶をして、食器を持って帰宅した。そして、暫くしてその日の夕食の時間になった。特に変わった出来事が有った訳ではない。何故僕は、その日に限って、そんな事をしたのか、今でもわからない。 「お兄ちゃん、まだなの」 「幸太郎、いい加減にしなさい」  妹と父の声がした。その準備が出来た。僕は右手を後ろに隠しながら、テーブルに着いた。誰も気付いていない様だった。父は、いつもの様に手を合わせて言った。 「いただきます」  みんなも、父と同じ様に手を合わせた。勿論いつもなら僕もそうしていたが、その時僕は手を合わせなかった。 「いただきます」  みんなは、そう言って箸を取り上げ、食事が始まった。  そして、僕はやってしまった。
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