一章「自己紹介と過去の馬鹿時代」

3/4
前へ
/11ページ
次へ
十点は夢のまた夢だったので、其れから自分は英語が出来るのかな?と思いました。しかし先程、理由は無いと言いましたが、無意識に書いた一つ前の文が理由なのかな、と感じました。 其れから二年の英語の学年平均内申は五を取り、自分の中で好きな教科と成っていきました。  中学一年生の時の志望校は県立松山高校。偏差値約六十八である川高の次と言われていて昭和時代は何人も東大を出していた。しかし最近は偏差値が低下して来て、今では五十六。 どうして松山高校にしたのか?当時姉の彼氏の弟が其の高校に通っていて、自分にも行って欲しいと姉が言っていたからです。僕は自分のレベルに合うならどの学校でも良かったので、二年の第二回で受けた北辰で偏差値を知るまでは、取り敢えず松高に為ました。  そして初めての北辰。偏差値は五十八。松高は安全圏でした。松高に決定為ようかと思いました。  益々英語が得意と思い、二年の後半で進路を仮変更しました。其の高校は坂戸高校外国語科。外国語科の学校が在るのを知って、何処でも良いと思いましたが、折角外国語科が在るのだから其所に行った方が良いだろうと思ったことと、外国語科は偏差値五十四で自分のレ
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加