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息つく間もなく慌てて身を隠す。心臓が恐ろしいほどにわめいている。
ゆっくりと胸を上下させながら息をし、全身の力を抜いてふと気が付いた。
考えてみれば、自分が隠れる必要などないのだ。愛想笑いの一つでもすればいい。
けれど隠れざるを得なかった。見た目は自分と同い年位の男に見えた。珍しいことに髪は剃りあげずに伸ばした髪を一本に束ねていたが、一瞬合わせたその顔はそれなりに整っていた気がする。
そしてあの目。
かち合った瞬間に心臓を鷲掴みにされたような衝撃。
ただ目があっただけ。ただそれだけなのに、こんなにもこの胸が煩い。
あの男はまだいるだろうか。そっと伺い見ようとした瞬間、襖の向こうから怒声がした。
「ちょいと、佳乃!!いつまで支度してるんだい!」
遣り手婆の声だ。
仕方ない。後ろ髪を引かれながらも、佳乃は襖の方へと向かう。
きっとこの襖を開ければ、遣り手婆の怒りで余計に皺くちゃになった顔が目の前に現れるだろう。
そしてまた嘘で塗り固めた戀が始まるのだ。
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