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私は薄汚い天井から、その様子を見つめていた。
私の身体を抱き、泣き崩れる主人。それを、声をかける事も出来ず、ただ見守る姉夫婦。
そこに、あのおばさんが降りてきた。後から親父さんも続く。
二人も至る所から血を流している。お義兄さんがやったのだろう。
今まで来なかったのは、気を失っていたからか。
二人とも黒い炎をその目に点し、包丁を手にしている。
だが、主人も姉夫婦も、二人が近くにいる事に気づいてないようだ。
サイレンの音がすぐそこで止まった。天井の上から沢山の声が聞こえ始める。しかし、彼らが此処に到着するよりも、この狂った夫婦が私の大事な三人を襲う方が早いだろう。
気づいているのは私だけ。
でも私の声は届かない。
助けたい!
助けたい!!
強くそう願う。
ざわめきが近づいてきた。
先程、上から聞こえたものとは違う、人の声と音の中間のようなざわめき。まるで、電波の向こうで沢山の人が話しているのに、それらが入り混じり、意味を成した会話として自分の耳には届かない。そんな感じのざわめきだ。
それは私を包み込み、私の背中を押す。
私はそのざわめきと共に、包丁を振り上げる二人に向かっていった。
彼らが私を“見る”。
私の身体は主人の腕の中にあり、今、此処にある“私”は、人の目には映らない筈なのに。
彼らの黒い炎を点した目に、それよりももっと昏(くら)い何かが映り込んだ。
二人の顔に、驚愕と恐怖が浮かぶ。そして、人間のものとは思えないような悲鳴を上げたのだ。
その声に姉夫婦が振り返った。遅れて、主人が涙に濡れた目を向ける。
あの狭い入り口から人間の声がして、幾つかの頭が覗き込んできた。
彼らの視線の中心には、失禁し、身体を震わせながら虚空を見つめている、『火喰い飯店』の夫婦がへたり込んでいた。
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