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正常。俺は正常。今の俺は正常。
そして。
引き金を引いた。
かちん。
安全装置をかけていたので、弾丸が発射されることはない。
「……馬鹿みたいだ」
思わず笑いそうになりながら、拳銃をホルスターに戻した、その時。
かつん、という音が耳に届く。
どうやらそれは、目の前の廊下の先から響いているらしく、俺の耳が正しければその正体は足音らしく、そしてどんどんとこちらに近づいて来ているらしかった。
おかしい。俺は上着の胸ポケットから手帳を取り出す。
やっぱりおかしい。今日は菓子の納入はないはずだ。つまり、俺以外の誰も、この場所に来る必要がなく、だから来るはずがないのだ。
だけど。その筈なのに。
「こんにちは。いや、もうこんばんはかな」
地面の下は時間がわからなくて困るよははは。そんな乾いた笑い声を発する、若い男が、目の前に現れた。
「……誰だ? 警備部の人間じゃないな?」
紺色の制服を着ていない。そいつが身につけているのは上等そうなベージュのコートと、白いハンチング帽。
「残念ながら、公務員になれるような頭は持ち合わせていないんでね」
「なんの用だ。どこから入った」
許可無くこの場所に侵入することは法に触れる。そのことを理解しているのかと尋ねると、もちろんと彼は答える。そして、
「用もないのにこんな空気の悪い場所に来るはずがないじゃないですか」
「だったら、」
早く用件を言え。そして正当な許可を貰っているのなら書類を提示しろ。俺がそう促すと、
「許可。許可だって?」
男は顔をぐにゃりと歪めた。彼が笑っているのだと気づくのに、俺は数秒という時間を要した。
「許可なんてとっているはずがないじゃないですか」
「なに?」
「ただちょっと、お菓子をいただこうかと思いまして」
最初、彼がなにを言っているのかわからなかった。
二秒後、彼の発言の意味を理解した。
三秒後、腰のホルスターに戻したばかりの拳銃を、再び取り出した。
まさか。そう思わずにはいられなかった。
どうやら、目の前の男は、つまり、菓子を奪いに来たらしい。
来るはずがない。そう思っていた「侵入者」が、目の前にいる。立っている。息をしている。俺を見ている!
「お前……自分がなにを言っているのか、」
わかっているのか? その問いに彼は勿論だと頷いた。
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