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「あの……」
背後から声をかけてきたのは、初老の女だった。
「この辺に、ゆっくりできる喫茶店はありますか?」
「――ありますよ。よかったらご一緒しましょうか?」
「よかった――…」
女が振り向いて手招きする先には、黒いハンチングをかぶった洒落たいでたちの夫らしい男がいた。
襟元までとめられたコートの裾から覗く、磨き込まれた黒い革靴。
「ご夫婦で?」
「ええ。初孫の顔を見に、久しぶりに街に出てきたんですよ。――すっかり面影がなくて」
「そうなんですか。街は――街も、生きてますから」
「本当ね」
ころころと笑う仕草が、少女のようだった。
青に変わった信号を、ふたりを促しながら、歩調を合わせる。
「あんた――女か」
横断歩道の中ほどで、それまで不機嫌そうに黙っていた男が、唐突に香苗に問いかけてきた。
「ええ――見えませんか?」
「見えん。貧相な男のなりだ」
「生物学上は、女に分類されるんですよ、これでも」
「見えん」
短く刈り上げた髪に、柔らかさとは無縁の痩せた体。
黒のスラックスにジャンパーでは、それも仕方ないだろうと、香苗はおかしくなる。
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