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ふたりの身なりからも想像はしていたが、所作ひとつとっても、香苗とは生活レベルのかけなはれた世界の雰囲気があった。
「――どうぞごゆっくり」
マスターがカウンターにエスプレッソを置いた。
香苗はわずかに頭を下げその場を離れると、流しに溜まっているカップを洗い始めた。
あかぎれに水がしみる。
あちこちささくれ立ち、浮腫んだように腫れている指。
ハンドクリームをいくら塗り込んでも、かつてのような瑞々しい手触りは戻ってこない。
――見落としちゃうからね。
こうやってうつむいていたら。
今自分がいる場所で、幸せを数えることを忘れてはいけない。
顔を出していた蕗の薹のあのいじらしさを思い浮かべ、香苗は口元をほころばせた。
「――香苗ちゃん。なんかいいことあったの?」
「思い出し笑いですよ」
「やらしいなぁ。でも、いい顔してるね」
マスターがにこにこと笑う。
カウンターの初老の夫婦も、同じように香苗を見ていた。
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