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よく一緒に行動する面々のほとんどは、このフロアの部屋を使っている。
彼女がこの階に来たのも、親友である葛西に用があってのことなのだろう。少年が考える間に扉が開く。
何故か名残惜しそうな桜田は、それでも廊下に踏み出した。
同時にふわりと香ったのは、整髪料や香水ではない。文字通り『桜田 千夏の匂い』だ。
「……」
かつて誰よりも心を通わせ、共に在ることを願い合った少女に似た、懐かしい香り。
桜田がそれを纏っていることに木宮が気づいたのは、かなり前のことになる。
具体的に言うと、夏合宿で出店を回った頃から。
(だからかもしれないな……)
込み上げた懐かしさは、ほんの数日で悲しみに変わった。"彼女"を思い出させる言動や行動は、心の古傷に血を流させた。
"彼女"でない桜田が踏み入ってくることに、どうしようもない怒りを抱えたり、ぶつけたりした。
その不安定な感情が、今はない。
悲しみも怒りも苛立ちもなく、ただ優しいぬくもりが心に広がっていく。
精神的に成長した証だと思いつつ、どこか納得できない曇りの存在を、少年は確かに感じていた。
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