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北米大陸の大国、アメリカ合衆国。
第二次世界大戦終了後、カナダとメキシコを併合した。
また、ドイツによる空襲により、国王一家が全員焼死し国土が荒廃したイギリスを併合。
ルーズベルト大統領は戦争の責任をとり辞職。共和党からマッカーサーが出馬し当選を果たした。
そして東京平和条約により日本と講和。両国は反共主義国家として東側のリーダーとなった。
太平洋の植民地は東京平和条約締結で失ったが、北米大陸とブリテン島を統治し、世界でも指折りの大国となった。
しかし、史実ほど世界中の紛争や戦争に介入することはできず、世界の警察としての軍事力を発揮してない。
西欧は一体どうなっているか?
大戦中、ナチスドイツは、フランス・ベネルクス三国・フィンランド・スウェーデンを占領し、それらの国々には親独政権を樹立し、大戦後ヒトラーは欧州連合を設立した。
経済・軍事協力を狙ったものだが、実質的にはドイツが各国への影響力を強めるためだった。
中国戦争の真っ最中、1952年1月にはヒトラーを大総統とする「ゲルマニア連邦」を樹立。
欧州連合をそのまま連邦にした形だ。
西欧各国の殆どがナチスの傀儡政権だったので、連邦の加入にすんなり応じた。
一方、大戦中にイギリスは散々ナチスの空爆に苦しめられた。
国王一家はスコットランドに移されたが、ナチスはイギリス全土を爆撃可能な爆撃機を開発。
主要都市は跡形もなく破壊され、国王一家は全員焼死した。
しかしイギリスを攻撃する事はナチスにもリスクが高く、利害が一致した結果、1943年1月に英独は講和を結んだ。
それは、日米が講和を結んだ日とほぼ近かった。
国土が荒らされ、王室も失ったイギリスはドイツからの恫喝外交により危機に瀕していた。
ドイツはイギリスに何度も欧州連合に加わるように命じたが、イギリスは頑なに断った。
しかし、独力で国家を維持するのはもはや限界に近く、王室も失い共和制になった今、世界最大国のアメリカに頼るしかなかった。
中国戦争の後、1954年に「米英安全保障条約」を結び、アメリカはイギリスを保護国化、1956年には「米英併合条約」を締結し、イギリスは州としてアメリカ合衆国に加入した。
かつて大英帝国として世界の四分の一を支配していたイギリスが呆気なく消滅した事は、東西関わらず世界に大きな衝撃を与えた。
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