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「中華人民共和国」という国の領地は、もはや旧滿洲の一部分のみだけになっていた。
ところが、開戦から2年経った1952年8月11日に、北中国に救世主が現れた。
ソ連軍と、ドイツを筆頭とするゲルマニア連邦軍だった。
南軍は不意を突かれ、北軍に再び北京、青島を奪われた。
南軍も北進を試みたが、その度に失敗していた。
次第に南北間の戦闘も小規模化し、境界線も固定化されつつあった。
しかし、アメリカ大統領のマッカーサーは、情況打開のためなら核の使用も辞さない事を表明。
この情況に危機感を感じた国連事務総長の仲裁により、南北間で休戦協定が結ばれる運びとなった。
北軍も南軍も、自国に撤退していった。
こうして、「中国」を名乗る国家が二つ誕生し、黄河を境に南北間の分断は決定的になった。
北は中華人民共和国。南は中華民国。
北京の北中国では、共産党独裁体制を確立。毛沢東の個人崇拝も強化された。
南京の南中国でも戒厳令が布告され、国民党独裁体制が始まり、將介石総統により25年間に渡り白色テロが続いた。
また大東亜共栄条約に基づき、帝國陸軍・空軍が中華民国国内に駐留する事が認められた。
北は共産主義国家の為に、工業の発展は大きく遅れた。
一方、南は日米の経済支援を受け、中国戦争後の疲弊からもすぐに立ち直れた。
北の代表都市である北京・大連・瀋陽では、日本の田舎と同程度の田畑の町が広がっていたが、南は奇跡的な経済発展を遂げ、アメリカ・日本に次ぐ世界第三位の経済大国にまで上り詰めた。
特に首都南京は、東京・京城・シンガポール・香港と共に、亜細亜五大都市に選ばれている。
この経済発展は後に、「長江の奇跡」といわれるようになる。
南北間の非武装地帯や鴨緑江では、北の国民が南や日本の新義州市を見て羨む姿が見られる。
南の発展を毛沢東が黙って見ているはずがなかった。
毛沢東は直属の工作員を何度も南に潜入させ、テロ行為を実行させている。
失敗はしたが、將介石総統の暗殺も命じた事もある。
また東シナ海では、南北海軍の軍艦が小競り合いしたり、北が南に砲撃を繰り返したり、南北間の対立は根深いものとなっている。
こうして、世界は完全に東西に分断され、冷戦構造が確立されてしまった。
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