第二章 第一話:『兄と姉』

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(″あれ″か……?)  一つ、思い当たる節があった。  刻の止まった、灰色の渓谷を思い浮かべる。  常の彼女では考えられない『力』の爪痕。その光景を、ノアは目の当たりにした。  具体的にあれの何が原因かは解らないが、しかしこうなる前後に起きた特別な事柄が、あれ以外思い付かなかった。  同時に起きた問題もあって、アレン達にあの光景は伝えていない。アクア本人も憶えている様子はない。  知っているのはノアと、そしてシドだけだ。  シドに伝えるかどうか、初めは躊躇った。いくら自分達を拾ってくれた張本人でも、いくらアクアが「父」と慕おうとも、ノアは彼女ほどにあの男を信頼している訳ではなかった。  時折見せる背筋の凍るような冷たい笑みが、信用はしても信頼を許さないのだ。  だが、″あの時″見せた笑みを、今回彼は浮かべなかった。代わりにどこか物哀しげな表情で、「少し調べてみる」と言っただけだ。  話を終えて学園長室の扉を閉めた直後、僅かに安堵している自分に気付いた。が、その安堵が何に対してのものなのかは解らなかった。アクアの身を案じるが故の安堵なのか、シドが自分と同じようにアクアを気遣っている様子を見れたことへの安堵なのか。  それとも……。  ふと落とした視線が、ある一文を捉えた。 『―これまで紹介した数々の魔導師達に匹敵する功績を持つのが、「学びの(ガーデン)」学園長のシド=ヴァン=レヴィウスだ。世界繁栄の礎として多くの有能な魔導師達を輩出してきたガーデンの長としてだけでなく、自身も一世を風靡する魔導師である彼は、開拓組織「明くる(ディスカバリー)」の幹部として世界を繁栄に導き、かの有名な「嘆きの丘の惨劇」では「四雄(しゆう)」の一人として活躍した。また―』  そこまで読んで、本を閉じた。  満ち満ちた沈黙の中、脳裏に蘇る。  雷鳴轟く嵐の街が。当てもなく彷徨い込んだ路地裏が。目の前に現れた男の姿が。  嵐すらも避けて通る男の声が、雷鳴を貫いて耳に届く。あの時、稲光に照らし出されたあの冷たい笑みを浮かべた口から零れた言葉は何だったか。 (確か……)  結局その日は、思い出せなかった。         †   †   †  
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