第零章 永劫の闇に射し込むは黒い光

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       1 (一九八九年 夏の終わり 復讐者)  辺りは永遠の闇だった。  僕を照らす、全ての光は奪われた。  僕は受け入れたくなかった。ここにある現実を。  洋風のしゃれた食堂に射し込む、鋭すぎる光。  人数分用意されたコーヒーより立ち上る、吐き気のするような香り。  蒸し暑さによる汗で体に纏わりつく、鬱陶しい衣類。  無意識に食いしばった歯の付け根から拡がる、生臭い鉄の味。  気が狂いそうなほどに神経を逆撫でする、耳障りなサイレンの音。  五感の全てを失って、しかし彼女のことを考えていたかった。そんなことは不可能と思われたが、今の僕は、事実その通りになっていた。  彼女を失うと同時に、僕は本当に全てのものを失った。今まで感じていたありとあらゆる、感覚、感情は消え失せ、唯一生まれた、たった一つの原理……復讐。  「行くぞ……。助かったんだ」  かつて……、そう、彼女を失うまでは友人だった男が、警察の到着にも席に着いたままでいる僕の肩を掴んだ。その声は、心にはなにも響かなかった。  ……この中の一人が、僕の全てを奪い取ったのだ。  「ああ、行こう」  僕はすっと立ち上がる。  ……何一つ悟られてはいけない。  そして入口へと歩を進める。  ……彼女の命を奪った者への復讐のためには。  そんな僕に、先の男が後ろから声をかけた。  「どうかしたのか?」  その問いに、僕は本当に素直な気持ちで言葉が出た。  「いやぁ……助かって良かったなって……」  僕は澱みない笑顔で応えた。  計画は始まっているのだ。
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