1人が本棚に入れています
本棚に追加
そりゃあ私は成人式を迎えたばかりの秀でたものも何もない平凡な女。だけれど大の虫嫌いであるわけではないため、天気の良い日に散歩し時たま見かける手のひらに乗る程度の小さなカマキリが目の前に突如現れようが驚きすらしない自信がある。しかし今私の目の前に君臨するそいつは現実味が全くない姿でいるのだ。
カマキリとはご存知の通り気色悪い生き物、昆虫である。逆三角形を描く輪郭の先端に生える小さな口、左右に飛び出たむき出しの目玉、緑という人間の目に優しい色であるのに気味悪さが醸し出される肉体、そこから生える四本の後ろ足。そして最後にとっておきの鋭利な刃物と化した鎌状の二本の前足。すべてが恐ろしく気味悪い生物である。
そのような生き物が今私の目の前にいるのだ。体長三メートルという巨体で存在しているのだ。大抵の虫なら有無を言わず弾き飛ばせる自信が私にはあった。だが体長三メートルはあるカマキリを弾き飛ばすほどの肝などさすがの私にも座ってなどいない。私は素直に叫んだ。そして直ぐ様逃げ出した。
今の走る速さならば陸上競技である百メートル走で世界記録を打ち出せるのではないかというくらい、私の中ではスピードを出していた。チーターというハンターから逃げるシマウマの如く必死に逃げた。
だが昆虫も頭がいい。あの頭のどこに思考能力が備わっているのか不思議に思うくらいやつは私を反射的に追いかけてくる。獲物を得るための本能なのだろうか、やつは私を捕まえるために猟師のように攻めてやってくる。
怖い、死にたくない、夢なら覚めて、その気持ちだけが私の体や心の中に浸透していた。巨樹をすれすれに避けながらずっと進んでいくも、森からは出られない。樹海のように、私は森から抜け出せず必死に逃げていた。
後方からは絶え間なくカマキリが背中に携えている羽根を器用に羽ばたかせている音が聞こえ続けている。それが徐々に近づいてくる度に私の恐怖心を煽る。
私は死に物狂いに逃げた、肺が潰れようが息が切れようが絶えることのない汗が流れ出ようが逃げた。ふと気づけばいつの間にか私はマンホール状の穴に落ちていた。だが転落しているのに私は妙に安堵していた。奇妙で恐ろしい世界から抜け出したことに安堵していたのかもしれない。そうして私は地球の理に従うように勢いよく床に激突した。
目を開けると、目覚まし時計が頭上にあった――。
最初のコメントを投稿しよう!