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窓を磨いていると、硝子に人が写っているのに気が付いた。目鼻立ちはっきりわかるその顔は、じっと、私を見ているようだった。だが私は一心に窓を磨き続けた。少年に戻ったような気分だった。鏡の中の人間がしびれを切らして近づいて来るのを待った。しばらくすると、彼女は軽く頬を掻いた。そして、足を動かそうとしたのだが、私の方が長い沈黙に耐えきれず、先に声をたてて笑ってしまった。振り返ってその端正な顔を見る。彼女はすっかり立ち止まっていて、真面目な表情で私を見つめていた。私は一人、クツクツと笑いながら彼女に近付いた。だが、彼女は逆に背を向けて私から遠ざかっていった。手を洗いたいと思ったので私は彼女の行く先に回って、手を振って見せた。彼女はそれを見ても表情一つ変えず、私を避けて歩き続けた。個人的な用事だと知り少なからず驚いた。こんな真っ昼間から、しかも仕事中に、何か大事でもあったのかと不安を抱いた。私は彼女と肩を並べ、横顔を覗き込んだ。彼女は視線だけを私に向け、首を横に振った。
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